昔、青い海の底に、魔法使いが住んでいました。
彼は願い事を何かと引き替えにしか叶えることの出来ない魔法使いでしたが、海の生き物たちのあらゆる願いを叶えてきました。
人魚の声を美しくしたり、迷子の魚に仲間を呼んであげたり。
確かに、何かを代償にして叶えるということは失う物が大きかったのですが、それでも、必ず願いは叶えられました。
彼らは魔法使いをとても尊敬していました。
魔法使いも、それを喜んでいました。
彼は地上で、その魔法の性質故に、邪悪な物だとほかの魔法使いに言われて追放されました。
ですから、海の中でも、自分を必要としてくれる彼らがいることはとても嬉しかったのです。
ある日、人魚の王の末姫が、彼の元へやってきました。
彼女は毎日のように魔法使いの所へ遊びに来ては、歌ったり話し相手になったりしていました。
魔法使いは、天真爛漫な彼女がとても好きでした。
しかし、今日の様子はいつもの明るい笑顔とうって変わり、思い詰めたような真剣な顔をしています。
「魔法使い様、私を人間にしてください」
彼女はそう言うと、まっすぐな目で彼を見ました。
魔法使いは驚きました。
彼はその理由を聞いてみました。
どうやら、先日の嵐の夜に、陸の王子に一目惚れしたらしいのです。
ああ、なんということだろう、と心の中で魔法使いは嘆きました。
自分が彼女を好きだということもあるけれど、その上に人間になるためには足を作らなければならず、生活に必要な要素、たとえば、物を持つ「手」、物を見る「目」、思っていることを話す「声」が「足」の代償に必要なのです。
魔法使いは困り果てましたが、彼女があまりにも真剣な目でこちらを見るので、そのなかでもまだ生活が出来る「声」を例にあげることにしました。
「『足』が欲しいのであれば、その代償も大きくなります。たとえば、貴方のその、綺麗な『声』。しゃべれなくなり、想いを告げるのもできなくなります。それに……願いの元である陸の王子との恋。それが叶わなければそこで魔法は解けでしまい、海の泡になってしまいますよ。それでもいいのですか?」
「かまいませんわ、魔法使い様。」
彼女は言いました。
「彼に逢えるのであれば、喋ることが出来なくても、たとえ泡になる運命でも従えます。」
そこまで、彼を愛してしまったのか。
かたくなな彼女の心は、もうどうしようもありません。
仕方なしに、彼は魔法を使って薬を作ります。
「この薬は尾ひれが二本に裂けて足になります。でも、生まれながらに付いている足ではないから、一歩歩くごとに針で刺すような痛みがあります、いいですね。」
彼女は笑顔で頷きます。
幸せそうなその笑みに、魔法使いは苦笑しました。
「彼女が幸せになれるのなら」と、心から思いました。
やがて薬が出来、小瓶に入れて彼女に手渡すと、嬉しそうにお辞儀をしながら彼女は海面へ昇っていきました。
魔法使いは祈りました。
この海の底での生活に彩りを添えてくれたのはあの王女。
多くを望むのは罪だ。だから、彼女が幸せならばいい。
どうか、神様。
彼女に幸せな結末をお与えください。
何日か経って、魔法使いの元に、彼女が陸の王子と結ばれないという話が届きました。
魔法使いは、嘆き、悲しみ、そうして自らの魔法にとって大切な右腕を代償に、小さなナイフを作り出しました。
このナイフは、陸の王子の命と引き替えに、王女の足をひれにもどすという魔力を込めてあるのです。王女の気持ちを踏みにじったあの王子が、彼は憎くて仕方なかったのです。
人魚の王の姫君達が、そのナイフの存在を聞いて飛んできました。
「魔法使い様、貴方の腕を使うのでしたら、私たちの髪をお使いください」
「貴方の御手は他の方々を助けることが出来ますもの」
「私たちの髪も命と同じくらい大切ですけれど、貴方の腕ほどの価値はありませんわ」
「けれど、これだけいますもの、なんとか代わりに出来ましょう」
そういうと王女達は次々と髪を切り、魔法使いに手渡しました。
魔法使いは礼を言うと、ナイフをそっと手渡しました。
「このナイフを王子の胸に突き立てて、そこから流れ出る血を足にかけるのです」
姫君達は急いで海面へと昇っていきます。
その光景を見ながら、魔法使いははっと気づきました。
「私は陸の王子を憎んであのような代償を課したけれども、あの優しい王女は、自らを死へ誘うあの王子を、憎んで殺すことが出来るだろうか……いや、できない。それより、その彼女にそのような課題を課してしまった私はなんて残酷で愚かなんだろうか……」
魔法使いも、急いで水面へ向かいます。
このままでは彼女は泡になってしまう。
私の持ちうるすべての力で、彼女を救わなければ。
それが、過酷な選択を無理強いしようとした、私の最後のつぐないだから。
ちょうど朝日が昇るころ、彼女は海を眺めていました。
真新しいままのナイフを持ち、瞳に涙をためながら優しくほほえんでいました。
迷いの表情はありません。
そうしてオレンジの光があたりを包み込んだ瞬間、彼女は海に飛び込みました。
彼女を形作るすべての要素が、どんどん泡となっては消えていきます。
魔法使いはそんな彼女を見つけ、大急ぎで泡をかき集め、魔法を掛けました。
「私の私たる要素である魔法が、ただ一つの居場所たる海にいる術である魔法よ、これを最後に使えなくなるがいい!……この死にゆく姫君を、どうか救ってくれ……!」
するとどうでしょう。
姫だった泡は、朝日よりも強い光を放って急速に集まり始めました。
そして人の形となり、姫は泡になる以前の姿に戻りました。
その様子を見届けた魔法使いは、深い海の底へと沈んでいきます。
海で生きていくためには、魔法が必要でした。
魔法を無くし、ただの人間となった彼は、もはや海では生きられません。
しかし、彼はほほえんでいました。
死を恐れなかった姫に負けない、優しい笑顔で。
彼は、目を覚ましました。
陸地に横たわっていたのです。
自分は海に沈んだとばかり思っていたので、彼はたいそう驚きました。
「魔法使い様」
岩陰から聞き慣れた声がします。
見ると、人魚の王の末姫が、そこには立っていました。
「貴方のおかげで私は生きています、そして、声まで戻ってきました……それなのに。貴方はもう、あの素敵な魔法が使えないのですね……」
そう言うと、彼女は顔を手で覆って泣き始めました。
「謝るのはこちらです……つらい選択をさせてしまうようなことをして……それに、人魚として蘇生させてあげたかったのに、咄嗟に人として願ってしまいました……」
「そんな……私は大丈夫です……それより、貴方の方が失った物が大きいではないですか」
泣きじゃくる彼女を、彼はなだめました。
「貴方が気に病まないでください……私が、勝手にやったことなんです……貴方が好きだから……」
びっくりしたように顔を上げた彼女に、彼は優しく微笑みました。
それから幾らか後に、人魚の歌が聞こえる入り江に、一軒の家が建ちました。
そして、たまに、海風に乗って、女性の声が近くの村まで聞こえます。
人々は噂しました。
あの家に住んでいる夫婦の、妻の歌声は人魚にも勝る。もしかしたらあの夫婦は、人魚だったんじゃないか?と。
めでたしめでたし。
あとがき。
最後が唐突すぎる、5点。って感じの批評を先輩にいただきました~。
でもハッピーエンドにしたかったんですよ~~~~!!
人魚姫ってお話大好きなんですけど、リトルマーメイド(ディズニーのヤツね)じゃないと、幸せになれなくて。
自分の手でどうにか幸せになってもらいたかったんだ~!という気合だけは感じ取れます。
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